美濃の地に 緑風荘 創立
大野音五郎・せい、この素晴らしい景色の場所で、旅館の経営をと創められた。
名古屋名鉄観光と協定を結び客を呼び、
美濃町その物の宣伝好集(小倉山の桜・鵜飼等)美濃音頭まで
作るまでの力の入れようであった。
(作詞・作曲 西條八十・勝太郎)
第二次世界大戦が始まり美濃町にも軍需工場が出来給食の仕事を受け持つ。
戦争末期となり陸軍病院に摂取される。(約百人の傷病兵)
敗戦にて陸軍病院が無くなる。
三笠宮様が松久家別荘へ疎開される。その侍従浜尾氏の母堂が、
緑風荘長生殿を宿舎として宿泊される。
佐々木邦子様(三笠宮妃殿下の母)白蓮様滞在される。
新しい店舗を創設するために、京都へ
元は能面屋であった今の地に二階建て十三部屋の京都緑風荘が誕生。
京都緑風荘が三階建ての旅館に生まれ変わる。
京都緑風荘隣の敷地に三階が増築される。
京都緑風荘が七階建てに新築され現形状となる。
美濃緑風荘母屋・調理場・風呂等解体し新館が創設される。
京都緑風荘全館リニューアル